スポンサーリンク

発達障害疑いの子を抱える転勤族の母親の本音と精神状態

息子が発達障害の疑いがあると言われた時から、ボロボロと崩れ落ちて理想が壊れていったと思います。理想の子を夢見た罰か呪いかと少しも苦痛を感じない日はありません。

1. 理想の子どもと理想の子育て像の崩壊

私は完璧主義ではありませんが、あらゆるリスクを減らすため、妊活は慎重に行いました。夫ともきちんと話し合って、お互いに健康維持し、アルコールなどの摂取を控えながら、完璧な状態で行いました。

アルコール、タバコなどは妊娠に気が付いた時にやめればOKと言う人もいますが、それでは遅いと思うのです。

たとえば、葉酸は1日、400μgを妊娠する約1ヶ月以上前から妊娠3ヶ月まで摂取することが推奨されています。神経管閉鎖障害(妊娠4〜5週にかけて発生する脳や脊髄の元となる神経管に起こる先天異常)のリスクを減らすと言われています。

私はベルタの葉酸サプリを定期購入して摂取していました。サプリメントは医師に相談しながら、妊婦向けのサプリを購入して積極的に取っていました。

妊娠初期から切迫流早産があり、安静にする時期も長かったのですが、それ以外はいたって健康な日々を過ごしました。

とにかく心身ともに健康な子を産みたかったのです。

陣痛の時も体をよじらないように看護師さんに言われていたので、必死で耐えていました。その時も「無事に産まれますように」と唸りながらも祈っていました。

産まれた息子は健康的な見た目。2800gで小ぶりではありましたが、見た目的に異常がなく、安堵しました。吸引分娩でしたので、頭はエイリアンみたいになっていて、「脳みそ大丈なの?」と非常に不安になりました。

1ヶ月、3ヶ月、6ヶ月検診と無事に終えていき、その度に胸を撫で下していました。

息子の言葉の遅れが気になってきたのは生後1歳を過ぎた頃でした。

2. 発達障害の特性は、子に期待した母の精神をジワジワと蝕む

発達障害という言葉は知っていましたし、産まれてからでないとわからないことも知っていました。本も読んだことはありましたので、今ほどではないもののざっくりとした知識はありました。

言葉の遅れと、回転物への執着、自転が気になり、1歳半検診で相談したものの、2週間後に転勤があり、相談は転勤先でと言われ終わりました。

不安を抱えたまま、当時住んでいた神奈川県から広島県の島へ転勤となりました。息子は1歳7ヶ月でした。

発達を促そうと積極的に子育て支援センター(児童館)や図書館でのお話会に連れていきました。同じ年の子達より、言葉は遅く、落ち着きもない

他の子がリトミックのような遊びを集団でしていても、息子は部屋を走り回り、私はそれを追いかけるだけ。

遂には、迷惑がかからないように、空いている時間帯を狙って行くようになってしまい、他の子と交流させたいなと思っていた私の心は打ち砕かれました。

3. ストレスが体を蝕み心を砕く

子育て支援センターの先生に相談し、市の発達相談を受け、発達障害専門の小児科医にも相談。その結果、「発達障害の疑いがある。療育などを受けたり、集団生活をさせてみて。」というアドバイス。

なんでうちの子が?

私何かした?

あれだけ気をつけていたのに、どうして?

毎日、泣きました。苦しくて苦しくて、息子を必要以上に叱りつけることもありました。無視してしまうこともありました。ニュースを見たときに、「次にニュースで取り上げられるのは私かもしれない」と息もできないほど苦しくなりました。

日々、様々な情報を見聞きしては、「私は妊娠前から考えて努力してきたのに、どうしていい加減な人に限って健常児が生まれるの?」とどす黒い感情が沸き起こり、精神が蝕まれていきます。

ストレスから突発性蕁麻疹となり、全身が蕁麻疹で覆われ、目も開けられない状態になりました。お岩さんより酷い顔でした。それでも多動の息子を背負いながら、病院に行き、点滴を打ち、ステロイドを飲みまくって2ヶ月くらいで治しました。

辛いながらもオンラインでできる子どもの発達の相談を利用したり、対応を勉強しながら、「もしかしたら、息子は改善するかも」と少しの希望を抱いてきました。

そして1年経たずにまた引越し。引越し先でとにかく早く療育を受けたくて、手を尽くし、療育に通えるようになりました。

その後も転勤、育児、療育などからくる過労とストレスから帯状疱疹になり、半年後には椎間板ヘルニアで遂に入院

入院中、息子のためにも早く退院したかったので、頑張りましたが、痛み止めが切れて唸っていると、一瞬だけ「もし、今、私の命が消えたら、楽になれるかもしれない。全ての苦痛や今後の心配、不安から解放されるかもしれない。」

痛みがなかなか引かなかった数日間、1日に何度かそう思ってしまうことはありました。

4. 子どもの発達問題と向き合う以上、ストレスは無くならない

私が苦しいのは息子のことを諦めていないからでしょう。教育だって諦めていません。

諦められたらどれだけ楽でしょうか。息子は遅いけど、発達しています。凸凹も大きいけど、少しずつ発達しています。だから諦めがつかない

「どうしたら息子と普通の会話ができるんだろう。幼稚園で乱暴な行為をしなかっただろうか。鉛筆を持って勉強する息子の横で勉強をみてあげらるような日が来るのだろうか」と悩み、息子の凸凹に毎日何ども一喜一憂し、涙をこらえながら毎日送迎している私の気持ちは、私と同じ立場でないと理解できないでしょう。

「息子は将来生きづらさを感じてしまうのかな。消えたいと言われたら、どうしたらいいだろう。この国に、この世界に、息子にとって幸せを感じる社会があるのだろうか。」と悩みだけが渦巻く中にいます。

もう心の底から笑えなくなりましたし、毎日のように描いていた大好きだった絵も描く気力もありません。ワクワクするほど好きだったイベントも心から楽しめなくなりました。

私にとって発達障害が疑われる息子を育てているというのは

嵐の夜に大しけの大海原で、ずっとずっと先に、星のようにかすかに見える灯台の光を目指して、たまに強風で陸から飛ばされてくる飛来物を避けながら、一人で必死にいかだを漕いでいる

状態です。

私自身、息子の発達を受け入れられていません。頭では理解していますが、心の底から「あなたはそのままでいいのよ!」とまるっとありのままの息子を受け入れられているかと言われればNOです。

それに無理して受け入れる必要はないとも思います。

正直、私は受け入れるのは無理ですから。私の精神が崩壊してしまいます。なので、子育てにおける大きな課題として受け止めています

課題として受け止めれば、どうやったらその課題をクリアできるかを考えられます。少し冷静に物事を見れるようになります。

ほんの少しだけでも、前向きに考えらるように、課題をクリアすることに焦点を当てて気持ちを奮い立たせています。